- 住所・・・神奈川県逗子市久木5-7
- 山号・・・海雲山(もとは海前山)
- 宗派・・・曹洞宗
- 御本尊・・・十一面観音
- 坂東三十三観音霊場第2番札所

創建
寺伝では720(養老4)年大和長谷寺の開山徳道上人と行基上人の開創というが不詳。古くは真言宗で、慶長(1596~1615) のころ禅宗に改めたという。『吾妻鏡』では、源義朝の長子悪源太義平の菩提を弔うために建立された寺ともいう。
境内
山門を通ると左手に本堂があり、真っすぐ進むと石段があり、登ると観音堂がある。
逸話
- この山は近くは相模湾の海を、遠くは三浦半島、伊豆、房総の半島を一望できる絶景の地であることから、山号を海前山(現在は海雲山)と名付けられました。
- 990年3月17日には花山法皇が来山し、自身が導師となり法要を営んだ。また、1174年(承安4年)4月18日には後白河法皇が来山し、坂東三十三箇所霊場第2番と定めました。
- 源頼朝は岩殿寺を篤く信仰し何度も参詣する他、朱印地を寄進するほどでした。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』には幾度も岩殿観音堂の名で登場し、頼朝後、北条執権時代となってもその信仰は頼朝以外の権力者になっても変わりませんでした。江戸時代には徳川家康が境内の整備などを行っています。明治の廃仏毀釈によって一時、衰退するものの、霊場としての姿を現在までとどめています。
- 明治時代には文豪、泉鏡花が逗子滞在中には何度か訪れ『春昼』『春昼後刻』は岩殿寺を題材に描かれているといわれています。あの泉鏡花独自の世界がここを舞台にしたのかと思うと感慨深いものが有ります。また、観音堂右にある池は鏡花の寄進によるだそうです。。
体験談
逗子駅から市街地を歩いて行くのですが、狭い道を歩き、路地といえるほど狭く、車が一台通れるかどうか、 いや、通れない道を縫って歩いていくため、道に迷いやすいです。ただ、道標があるため、なんとか迷わずに 岩殿寺に着いた。山門をくぐるとすぐに石段があり、かなり急な石段のため、体力を温存しなくては息が切れます。 石段からの海方面の眺めは非常にいいです。