- 住所・・・神奈川県鎌倉市二階堂903
- 山号・・・大蔵山
- 宗派・・・天台宗
- 御本尊・・・十一面観音
- 坂東三十三観音霊場第1番札所

創建
奈良時代の734年(天平6年)に光明皇后の命で、藤原房前(ふじわらふささき)という貴族と行基という有名な僧 により創建された鎌倉最古の寺と伝えている。寺を盛り返したのが有名な僧である円仁(慈覚大師)は中興開山で、 坂東三十三観音の第一番札所として今も有名である。
境内
石段を少しのぼると仁王門があり、さらにのぼると苔のある石段があるが、そこは登れず、脇道の石段を登ると茅葺きの本堂がある。
本尊の縁起
本堂内には本尊として3体の十一面観音像がある。
- 本堂内の西方にたつ本尊は、平安後期の作とみられる。行基が関東地方を歩いたとき、鎌倉の大蔵山から町を眺め「こここそ観世音菩薩を安置すべき霊地である」と思い、霊木で等身大の像を彫刻し安置したと伝える。
- 本堂内の中央にある本尊(国重文)は、平安後期の作。慈覚大師が文徳天皇の851年(仁寿元年)この寺で霊感に打たれ、みずから海辺に浮かぶ霊木を彫刻し安置したと伝える。
- 本堂内の東方の本尊(国重文)は鎌倉中期の作。花山天皇の命で、源信(恵心僧都)が985年(寛和元年)十一面観音をつくり、熊野権現の示現でこの観世音と霊場順礼の記文(焼失)をおさめたと伝えられている。
逸話
- 鎌倉時代が始まるころ、1189年(文治5年)大蔵観音堂が失火で炎上したときに、別当浄台坊は火焔のなかにとび込み、衣をわずかにこがしただけで無事に本尊を取り出すことができた。これが、観音が火災地獄から人々を救うという信仰と結びつき、信仰を集めた。また、観音みずからスギの木の下に火をさけたとして、「杉本の観音」とよばれるようになったともいう。
- 鎌倉時代、1191年(建久2年)源頼朝が参詣して建物再建のため寄進をし、実朝も1212年(建暦2年)参詣している。
- 鎌倉時代、杉本寺の前を馬で乗ったまま通ると必ず落馬するというので「下馬観音」といわれたが、建長寺の開山大覚禅師がこの観音堂に参籠して祈願し、袈裟で観音をおおい落馬もなくなったので「覆面観音」といわれたという。
- 現在、裏山は立ち入りできないが、杉本寺を含んだ辺りは杉本城跡といわれ、鎌倉幕府滅亡後の1337年(建武4年)北畠顕家の鎌倉攻めのとき、ここでも攻防戦があり、足利方の斯波三郎家長以下300人余が討ち死にしたという。
補足
杉本寺と道路をへだてた南側の青少年センターほかの調査では、鎌倉時代初期の南北方向の堀や、それを埋めて つくられた館や道路の跡などが発見された。南北方向の堀は、鎌倉時代初期の鎌倉における防御的遺構として注目 されている。
体験談
鎌倉駅から30分を歩くと、この寺院の参道の入口に着く。参道を進むと石段にあたり、登ると苔が茂った石段 にぶつかるが、その石段は登れず、左側の別の石段で登り、本堂にたどり着く。ここで坂東三十三観音霊場の 第1番札所であり、坂東三十三観音霊場用の御朱印帳を買った。この寺院の人が「本当に買うのか 」という態度をとるので 不思議に思った。実は私にとって、これが苦難の始まりとは思わなかった。