- 住所・・・神奈川県小田原市飯泉1161
- 宗派・・・真言宗
- 山号・・・飯泉山
- 御本尊・・・十一面観音
- 坂東三十三観音霊場第5番札所
創建
この寺は、奈良時代孝謙上皇の信頼を得たが、上皇の没後下野国薬師寺に左遷されることとなった僧道鏡が 下野国へ行く途中で、鑑真が上皇に献上した観音を上皇は道鏡にさしあげ、道鏡は相模国足柄下郡千代村に 堂宇を建立して観音を安置したのに始まると伝えられる。、当初は補陀落山と号し、道鏡の出身である弓削氏 の氏寺であったという。平安時代の830年(天長7年)現在地に移ったとされ、室町時代に現在の勝福寺と号する ようになり、後北条氏の帰依を得た。
境内
大きな仁王門を通ると本堂がある。右側には銅鐘があり、左側には、青銅水鉢、大イチョウがあり、本堂左側には 講談・浪曲の「寛政力士伝小田原の仇討相撲」の記念碑がある。その横に馬頭堂がある。
縁起
逸話
- 本堂は1708(宝永3)年に再建される。本堂にあがると、内陣との間には飛天の浮彫りがあり、前立ちの 観音の後ろにある厨子に十一面観音がある。一木造で、地方仏師の作とされる。
- 銅鐘は、銘文により1629(寛永6)年小田原の鋳物師の鋳造わかり、後北条時代、江戸時代に栄えた小田原の 鋳物技術を伝える。
- 坂東三十三観音霊場第5番札所である。この寺を飯泉観音ともいう。
- 大イチョウは乳銀杏といわれ、乳の出ない女性が願をかけたという。
- 仇討相撲で知られる雷電が、大岩を倒した土俵跡と伝えられ、そこに記念碑がある。
- 馬頭堂は鎌倉時代、宇治川の戦いに参戦し、観音の霊夢で先陣争いに成功した武士が、その礼として建てたのいが始まりとされる。
- 曽我兄弟が仇討のため日参して成就したという。
- 二宮尊徳が14歳の時、旅僧の訓読する観音経を聞いて発心したという。
体験談
今回は坂東三十三観音霊場の第5番札所勝福寺(飯泉観音)を巡る旅に出る。 私は行くときに鴨宮駅で降りて、真っすぐ、巡礼街道を西に進み、それが退屈なこと、地方都市の街並みを 見て歩くだけである。しかし、早朝で快晴の日を選んだので、気分はルンルンだった。それが時のたつに つれて体力が消耗し、ルンルン気分も下がっていき、ただ黙々と歩くのみになった。勝福寺に着くと社務所 の近くの社に参拝するが、隣にも古めかしい古社がある。実はこれが本当の勝福寺であった。やはり、こちら のほうが趣もあり、由来や記念碑などがあり、こちらが本物だと確信する。こちらを参拝して御朱印を もらい、古社の画像を撮る。バス停が近くにあることを確認し、時間も10分待てば来ることを確認する。 そしてバスに乗り、小田原駅へ移動する。