神田明神かんだみょうじん

創建

社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣まかんだおみにより武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・ 将門塚周辺)に創建されました。 その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰め して、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く 崇敬されました。

境内

お茶の水の「聖橋」から北に進み、本郷通りを東に進むと、甘酒屋の角に大鳥居があり、ここから境内になる。 隋神門をくぐると、目の前に拝殿がある。本殿は見えなかった。

逸話

戦国時代の関ヶ原の戦いで、徳川家康の戦勝祈願を行い、その後、家康が勝利した。江戸幕府が成立すると、それまであったところから、現在地に移され、 江戸城の鬼門にあたる場所に神田明神を設けた。江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬を受けた。 明治時代になってからも、東京の重き神社として祀り、関東大震災で社殿などが被害に遭い、新たに鉄筋コンクリートの社殿を設けて、第二次世界大戦 に臨み、東京大空襲で一面焼野原となったが、社殿は残った。その後、東京の人々の厚い信仰に救われて、現在に至っている。

体験談

この場所は大学時代からよく行った場所でもある。当時はそれほど近代的な建物はなかったが、近年、お土産屋さんなどの観光地の一つとして この場所が受け継がれているような感じがした。でも、いつ見ても社殿の美しさは変わらなかった。鳥居の近くにある甘酒屋さんが有名で いつも混んでいて、私は飲んだことないが、一度、飲んでみたいものだ。