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足利直義 あしかがただよし

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245 足利直義 あしかがただよし 1306-1352(徳治1-正平7・文和1)南北朝時代の武将。尊氏の同母弟。錦小路殿という。元弘の乱には尊氏と行動をともにし、建武新政で相模守となり鎌倉に居住。中先代の乱により三河まで逃れ、東上してきた尊氏と共に戦い鎌倉を奪回した。1335(建武2)護良親王を殺し、翌年尊氏にすすめて挙兵し、京都に攻め入ったが、九州に敗走。同年ふたたび上京、尊氏が幕府を開くと、補佐して諸政を行う。いわゆる『二頭政治』が行われた。この政治体制で矛盾が生じ、東国武士団・寺社勢力の支持を得た直義党と職のない新興武士に支持を得た執事の高師直の率いる師直党との対立を生み、1349(正平4・貞和5)高師直と争い、勝利を収めたが、ただ一人の息子如意王を失ったことが直義に無気力にさせ、次いで尊氏とも不和となり、一旦は和睦したが、職の返上を申し入れ、鎌倉へと行き、尊氏軍によって降服し、亡くなった。鎌倉で毒殺されたとの説があるが、子細は不明である。 :高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』、角川書店、1974:『大日本史料』6ノ16、正平7年2月26日条:高柳光寿『足利尊氏』:佐藤進一『南北朝の動乱』(中央公論社『日本の歴史』9):佐藤進一「室町幕府開創器の官制体系」(石母田正・佐藤進一編『中世の法と国家』所収):笠原宏至「足利直義」(豊田武編『人物・日本の歴史』5所収):国史大辞典編集委員会『国史大辞典 第一巻』、吉川弘文館、1979:日本史広辞典編集委員会『日本史人物辞典』、山川出版社、2000:安田元久編『鎌倉・室町人名事典』、新人物往来社、1985: