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第二次世界大戦だいにじせかいたいせん

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7566 第二次世界大戦 だいにじせかいたいせん 現状打破を企てる日・独・伊の侵略に対して、英・仏・中・ソ・米などが連合国を形成して戦った戦争。1929(昭和4)の世界恐慌を機として、後進資本主義国は植民地の拡大を要求、1931満州事変、1933ドイツでファシズム独裁の成立、1935イタリアのエチオピア侵入、1837日中戦争、1938ドイツのオーストリア併合など、各地で侵入を強行。はじめ、社会主義や民族運動との対立を考慮して妥協的態度をとっていた英・仏・米なども、自己の利益の危機を感じるにしたがって硬化、1939、9月ドイツのポーランド侵略を機に、独伊対英仏の戦争に発展、アメリカは次第に英仏側への支援を強めた。ドイツは1940、6月フランスを屈伏させたが、英本土上陸をあきらめ、1941、6月東に転じて独ソ戦を開始。この間イタリアはエジプトを攻撃、一方、日中戦争の長期化に悩む日本は、1940、9月日独伊三国同盟を結んでヨーロッパ、アジアでそれぞれ新秩序建設の指導者たること認めあった。これにより日本と米英との対立は激化、1941、12月日本は対米英戦争を開始、独伊も三国同盟に従ってアメリカに宣戦、ここにヨーロッパとアジアの戦争が結びつき文字通りの世界戦争となった。米英側は、1942、1月共同宣言を発して反ファシズムの連合国として結集、以後テヘラン会談・ヤルタ会談・ポツダム会談などにより、米英ソを中心とする戦争協力と戦後処理の方針がつくられ社会主義国と資本主義国のファシズム打倒のための統一が実現したこと、中国の反帝民族戦争や枢軸国占領下の抵抗運動(レジスタンス)がこれに結び合わされたことは、この戦争に新たな性格を加えることになった。緒戦の勝利を得た枢軸側も生産力の差があらわれるにしたがって苦境に立ち1943、2月日本軍のガダルカナル撤退、スターリングラードのドイツ軍降伏で、敗北は必至といなり、9月イタリア、1945、5月ドイツが降伏、残った日本もソ連参戦と原爆攻撃により8月降伏して戦争は終結した。戦争は植民地独立運動の高揚をもたらしたが、旧枢軸国の民主化、平和のための大国協力の構想は破綻し、冷戦によって反ファシズム統一戦線は解体した。