亮賢
| ID | word | kana | meaning |
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| 19391 | 亮賢 | りょうけん | 1611-1687 江戸時代前期の新義真言宗僧。江戸護国寺の開山。慶長16年(1611)上野国甘楽郡小野村(群馬県富岡市)に生まれる。同村得成寺で出家し大和長谷寺での修学後、得成寺や高崎大聖護国寺に住した。卜筮に長じ験者の聞え高かったと伝える。徳川家光側室で同綱吉の生母桂昌院(本庄氏)は、小野村領主前田利豊家臣の女である女中のすすめで亮賢に祈祷を行わせていたが、亮賢は桂昌院の懐妊を占相し、天下を治める男子の誕生を告げたという。その後占い通りに運んだので、綱吉は天和元年(1681)2月、亮賢に幕府の北薬園を与えて桂昌院の祈願寺・護国寺を造営させた。貞享2年(1685)春隠居し、同4年3月7日に没した。77歳(護国寺所蔵の2世賢広筆亮賢肖像賛文には78とある)。元禄4年(1691)6月に権僧正を追贈された。墓は東京都文京区大塚5丁目の護国寺にある。護持院隆光・桂昌院とともに綱吉に「生類憐みの令」をすすめたとの通説があるが、良質の史料的根拠に欠ける。 |